8月19日(月)ビィアーレ大阪
在日外国人無年金問題の早期解決を! 
大阪集会

主催 在日コリアン高齢者福祉をすすめる会

              在日外国人の年金差別を撤廃させる大阪連絡会
              年金制度の国籍条項を完全撤廃させる全国連絡会
              高槻むくげの会
              民族差別と闘う大阪市連絡協議会
 
 
 3時半からの大阪府と大阪市に対する交渉を経て、6時半から本町のオフィス街の会場で集会が開かれた。慎英弘さんのあいさつの後、李敬宰さんをコーディネーターとして、中山徹(大阪府立大)・金洙栄・李幸宏さん三氏によるパネル発言がおこなわれた。
 
 問題の骨子は、次のようなものだ。
 
 @1959年に「国民年金」制度ができた時、「日本国内に居住する日本国民」という規定(国籍条項)により、在日外国人は排除された。
 
 A1982年に難民条約批准に伴って上記国籍条項をはずされ、外国人も「国民年金」に加入できることになった。しかし、元来日本人には認められた経過救済措置が外国人には実施されず、放置された(この時20歳を過ぎていた在日外国人障害者。また1986年に基礎年金制度が導入された時に60歳を過ぎていた在日外国人高齢者)。
 
 Bその結果、現在40歳以上の在日外国人障害者、76歳以上の在日外国人高齢者が、無年金状態で放置されている。
 
 上の@の前に
 
 「在日朝鮮人は1952年4月までは日本国籍で、その時日本国籍を失った。
 
の項を入れて考えれば、問題は少しはっきりするのだろう。ここに見えるのは、日本国家の意図的な不作為による朝鮮人排除、「在日外国人差別」「在日朝鮮人差別」政策だ。
 

 教育現場の私たちから見て、この問題はどう見えるのか。
 
1)教室にいる朝鮮人生徒の、背景にあるもの
 
 「うちの親は、日本政府から、一生結局一銭ももらわないまま死んでいく。植民地支配の謝罪も、強制連行の謝罪も、何もないまま、税金を納め続けて、日本政府からご苦労様でしたという一言も、日本人にはある年金も、何もないまま死んでいくことになる。そう考えると、悔しくて。」
 1990年代はじめ、生野区の猪飼野コリアタウンの穏やかな店先にじっと座っているお年寄りを見やりながら、その店の主人は言った。(その子どもたち、お年寄りから見れば孫たちが、私たちの学校に通っている。)その恨みはこちらの心にも突き刺さった。生徒のハラボジやハルモニのそうした境遇をそのままにして、学校でどんな「民族差別」についての授業ができるのか、と疑問に思ったものだった。

 その後、大阪市がわずかではあっても外国人にも老齢年金を支給する市独自の制度を創設したと聞いて、うれしかった。しかし、今度また聞いてみると、その後に大阪府が制度を作ったとき、大阪市はその金額分を差し引いてしまったということだ。日本人との格差は依然として放置され、最低限の「お情け」の捨て金のように、その制度は維持されている。
 交渉の席で府や市の行政官が一様に言うのは、「国の政策に関することなので、是正を申し入れていますが、どうしようもありません。」
 大阪市や大阪府のこの問題に対する態度は、このように硬い現状だ。
 
 
(2)年金は「掛け金制度」が基本
    だから、掛け金を納めていない外国人には年金が出ない、と厚生労働省は言う。
 
 この問題は、集会でも確認されていた。日本人の場合には、元来の制度制定時直後の過渡期や、中国からの帰国者の場合など、掛け金を納めていなくても(その間の税金も負担していない場合でさえ)支給される特例が原則になっている。外国人だからだめなのか。これは明白な「外国人差別」にほかならない。掛け金部分がだめというなら、税金充当(国庫負担)分だけでも支給するのは、税金を負担してきた人間にとって当然ではないのか。

 ところが一方、昨年来、学校に来た「年金教育」を勧める係官や、広報活動に言う。「年金は、世代間の助け合い」と。厚生労働省の国民年金についての広報でも「現在の納付金が、年金給付の原資になる。だから、世代間の助け合い」だと。
 誰がそんなことを信じるだろうか。若い人であれば、少し考えるだけで、人口減少期になれば自分たちが大勢の老齢人口を助けて、自分たちは少数の若年人口による助けを受けるという損な立場だとわかるから、年金制度そのものを信用しなくなるのは当然だ。厚生労働省は、意図的にかどうかは知らないが、年金制度を支える人々の意思そのものを破壊するような宣伝を続けている。
 8月19日に会場を埋めた多くの企業関係者にとっても、「若年者に支えられる」という自分たちの年金が一体どうなるのか、目減りして雲散霧消するのではないかと「年金制度破綻」を心配していない人はいないだろう。だから、この問題は、多くの日本人にとって、年金制度の根本理念に関わる重大性を秘めている。
 しかし、そもそも、年金は「掛け金制度」が基本、と国は言ってきたのではなかったのか。無年金問題の厚生省との交渉でも、当然そのことが議論されていたという。今五十代の世代の者がかつて聞かされていたのもそうだった。かつてはそのことが、将来の給付のためとして膨大な金額が積み立てられて、しかも少数の老齢者に僅少の年金しか支給されないことの、理由とされたのだった。
 一体どちらなのか。

 「掛け金制度」なら、根本的には年金制度が破綻するはずなどないだろう。例えば現在五十代の人たちがやがて受け取る年金は、若い世代からのお助け、などではなく、彼らの世代が長年自ら掛け金して積み立てたお金を払い戻してもらうだけのことだから。これからの給付が、若い世代の積み立てに依存しなければならないとしたら、かつて存在した彼らの膨大な「原資」はどこへ消えたのか、ということになる。
 こうした根本の疑問にも応えつつ、制度の欠陥によって「掛け金」積み立てができなかった人々への補償措置は、それこそ、その同じ世代の人々の連帯によってなされなければならない、ということになる。「異なる世代の間の」助け合い、ではなく「同じ世代の間での」助け合い、現在40歳以上の障害年金を受け取っているすべての人々との連帯と、現在76歳以上の老齢年金を受け取っているすべての人々との連帯の中で。
 現在の、学生の国民年金未加入問題や、厚生労働大臣が示唆したという、無年金者救済措置では、こうした問題の整理がどう行われているのだろうか。「福祉」政策として必要なこと、「権利」の問題として補償すべきことを、きちんと議論したいものだ。「世代間の助け合い」というようなまやかしでは、在日外国人の無年金問題の本質も見えてこないように思える。

 昨今は、学校で年金制度や保険制度についてきちんと学習させるべきだという声もある。環境問題も、在日朝鮮人問題も、みな同じだ。「心構え」「助け合い」を説く側の根本に信頼できないところがある。私たちは、まやかしを見抜く子どもたちの、心の奥底での正当なあきらめ、絶望に直面しているのかもしれない。(印藤)


参考 在日外国『「障害者』年金訴訟を支える会