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若一光司(作家) (HP編集委員会注)この記事は、1997.4.24に大阪府立青少年文化ホールで行われた「阪神教育闘争49周年のパネル・ディスカッションにおける若一さんの発言の記録です。
〈コさんたちをいじめてきた日本人として〉 せっかく招んで頂いたのですから、率直に思いのたけを話させて頂きたいと思います。先程、コ・チャンユさんは「高校時代までは日本の学校に行ってて、非常に虚無的な気持ちに陥っていた。それが朝大に行って、いっぺんに変わってしまった。」ということをおっしゃいました。わたしは今47才ですけれども、大阪の淀川区の三国という十三の近くで生まれ育ちました。わたしは物心ついたときから、全くコさんの逆で、コさんたちをいじめる側として徹底的にやってきました。淀川区・東淀川区には、たくさん在日の方がおられます。わたしが行っていた三国小・三国中にも、1クラスに必ず朝鮮人の子どもがいるのです。しかし、100%通名を使っていました。今もその状態は変わりません。先程、内山先生がお話なさったように、今大阪府内の小学生で、在日の子どもが本名を名乗っているのが11%に過ぎません。これが中学生になるとまた下がります。たった7%です。30何年前とこれだけの違いしか、まだできていない。ともあれ、わたしの時代は、100%朝鮮人の子どもが通名を使っていた。にもかかわらず、われわれは同じ地域で、同じ住民として暮らしていますから分かるんです。あいつが朝鮮人だと分かる。いじめまくりました。高校2年生になるまで、わたしは、ほんとうに、朝鮮人というのは日本人よりも劣った存在やと、ほんとうに思っていた。よく日帝36年、36年間の朝鮮支配と言います。その朝鮮支配の過程で握造された朝鮮人に対する差別意識は、まちがいなく、われわれの世代にも継承されたわけです。わたしは、生まれ育って高校生になるまで、わたしの暮らしていた街の、わたしの周辺で、わたしの両親も、学校の先生も含めて、朝鮮人の人権をちゃんと真正面から指摘した人は、一人もいなかったのです。人権の「じ」の字も聞いたことがない。逆に、朝鮮人に対する差別言語、部落の人に対する差別言語は、毎日、身の回りに溢れているわけです。そこで、真っ白な子どもが、染められて育っていくわけですから、差別者にならないはずがない。わたしもそうなったわけです。
〈友人の朝鮮人宣言が私を変えた〉 わたしが、そういう差別者であるということに目覚めたのは、高校2年のときに、阿倍野区にあります工芸高校という学校に行っていたのですが、ほんの今さっきまで日本人だと思っていた親友が、HRの時間に突然「みんな話を聞いてくれ」と言って、朝鮮人宣言をしたのです。「オレは今まで日本人やとみんなに思われてきたけど、オレの名前はカンや。」と、黒板に漢字で書きました。横に片仮名でルビをふりました。「朝鮮人であることがバレたら嫌な目にあう。しんどい。生きていきにくい。だから、ここまで隠してきたけれど、自分が高校生になって、いろんなことを自分の頭で考え、勉強してみたら、日本の社会で朝鮮人が何でここまでバカにされなあかんか、理由なんてなにもない。考えれば考えるほど、バカにされるべきは日本人の方やないか。そういう確信に至ったから、オレは今日から一人の自立した朝鮮人として生きるから、みんなもそう思うてくれ。」そう言ったんです。さっき、ほんの1分前まで、ぼくはそいつを日本人だと思っていたんです。カンは朝鮮人宣言をした後で、われわれ仲間を集めました。それまで、彼を日本人だと思っていましたから、わたしは彼の前で、いっぱい朝鮮人のことをボロクソに言うてきました。突然、朝鮮人になった彼がわれわれに対して、「今まで黙ってたけれどお前らこんなことを言うたやろ。若一、お前、宝塚のファミリーランドで、あんなこと言うたやろ。」というわけです。「なんでそんなこと言うたん。ちゃんとした理由があるんやったら、今いっぺんオレに説明してくれ。」初めて朝鮮人から、目の前で直接問われたわけです。誰も答えられなかった。ぼくらの仲間が。同じように朝鮮人をバカにしていた仲間が。みんなが最後に、何とか一所懸命考えて言った言い訳は、たった一つです。「そんなこと言うても、回りのやつらみんな、そないに言うたやん。」それしかないんです。なんぼ考えても、それしかない。ほんならカンが、「わかった。オレとこのまま友だちでいていたいと思うんやったら、せめてオレが渡す本を5冊読んでくれ。オレが行ってる仲間の研究会にお前らも来てくれ。」と。その通りにしたんです。いまでも忘れません。1冊、カンからもらった朝鮮と日本の歴史が書いてある本、薄い本でした。その1冊を読み終えて、最後のぺ一ジをパタンと閉じたとき、もう自分が劇的に、この本を開く前とは、劇的に変わっているわけです。つくづく思いました。カンが言ったように、バカにされるべきは日本人.の方です。しかし、そういう歴史的事実を、わたしは学校で何も習わなかった。まだわたしが子どもの頃は、学校の先生は、"朝鮮征伐"と言ってました。"征伐"やから、何か悪いことをした朝鮮人を、秀吉が殺しに行ったんやと、わたしはまともに思っていたんです。そういう中で育ってきた。それが、カンと出会って、それ以降も、たくさんの在日のほんとうにすばらしい友だちとめぐり会ってここまでいっしょに、いろいろなことをやってきたのです。その実感からして、わたしがつくづく思うのに、わたしのような子どもをこの日本の社会で生産することを、もうやめさせたい。とにかく差別する、人を見下すような曇った目で、社会を見るような子どもをなくしていきたい。なくすには、朝鮮人問題も含めて、今われわれが直面している問題にわれわれが積極的に関わっていくしかないわけです。 〈民族教育差別克服は、"救済"でなく、日本人の"責務"〉 今いろんな方が説明なさいましたけれどもこの民族学校の問題、民族教育権の問題、これは、国連が提唱し日本が批准している、いろんな世界的な人権基準に照らしても、当然の権利です。それ以前に、内山先生がおっしゃいましたけれども、日本の戦争責任の問題戦後補償の問題として、これは当然に果たさねばならない義務です。その義務を、戦後、われわれの社会が果たすどころか、逆に圧殺し・抑圧して、ここまできたわけです。それを復権させるのは、われわれ日本社会の、日本人の義務です。 先程、清水先生がいい話を聞かせてくれました。わたしは日本人の一人として、清水先生のような国会議員がいらっしゃることを、ほんとうに嬉しく思います。思いますけれども、1つだけ疑問点があります。さっき、地震で被災した民族学校のことを政府に訴えるときに、"救済"という言葉を、清水さんは2回使われました。わたしにとって、朝鮮人問題を考える場合に、"救済"という言葉は存在しないんです。全部、日本人の"責務"です。"義務"です。だから今、民族学校が各種学校になっている結果、いろんな差別が生じてきています。キム先生からもご説明がありましたけれども、助成金の問題とか、大学受験資格・大検の問題、あるいは免税の問題とか、いろいろあります。そういったことがある限り、朝鮮学校というのはやっぱり学校と違うんや、特殊な存在やと、それを差別の理由にしていく、この日本社会の視線は消えていきません。なくなっていきません。 あまり正直に日本人は言いませんが、ここに資料があります。これは去年の6月22日、生野朝鮮初級学校と東大阪朝鮮中級学校が公開授業をしましたが、その感想文集です。国立大学の3年生。もちろん日本人です。「今まで朝鮮学校の中も見たことのない自分が、日本における民族教育を考えるのは、理屈の部分はさておき、心情的にしっくりこない部分がありました。日本の中には朝鮮学校に対して、大なり小なり不信感。目にしたことがないことからくる漠然とした不安を感じるものが多くあると思います。」こういう感想を書いています。不信感。「何やねん。」という不信感ね。 また、別の女性、この方は21才の会社員です。 「今まで身近に在日の人がいなかったので、TVや新聞で知っても、なかなかピンとはきませんでした。今日、自分の目で見て、これからもっと身近に考えられると思います。授業を参観していても、わたしの通っていた小・中学校と変わりなかったし、今まで朝鮮学校というととても特殊な感じがしていましたが、民族教育を行っているだけだというだけで、いろいろ制約があるのだなあということも含めて、朝鮮学校、またそれだけでなく、在日朝鮮人について、驚くほど自分が何も知らないのに気づきました。」こういう感想を書いています。 要するに、各種学校として差別状態におかれている。わたしは各種学校のままであってもいいと思うのですよ。言葉は何でもいい。「1条校」自体が、わたしは崩壊すべきだと思います。教育基本法においてね。そういう徹底した国民主義的な政策は拒否したいと思いますけれどもね。しかし、こういった日本の一般の学校との間に差別的格差がつけられている限り、日本社会はやっぱり、朝鮮学校は特殊なもんやという、そういう目線がなくならない。われわれの中で、また、そういう差別が助長されていくのです。それを正していくのは日本人の、日本社会の戦後貴任であり、戦後補償であり、人権上の義務です。救済でも何でもない。
〈当事者が声を上げ、日本人が応えていくこと〉 それどころか、わたしはこういった差別の格差を、全部なくしていかなあかんし、その上で、もっと能動的な、アファーマティブ・アクション、積極的な差別解消策を講じるべきだと思います。逆に言えば、民族学校で学んできた子どもたちは、優先的に大学に入れる枠を作る。そういう形で、マイノリティとして、日本の中で、いろいろ人権蹂躙の目にあってきた人達を、われわれがもういっぺんその権利を回復させるために、やれることは何でもやっていくという能動的なアファーマティブ・アクションがあることこそが妥当だと思うのです。だから、日本の学校と民族学校とを同等に扱ってくれ、これはもう当然の要求で、日本の社会に対する当然の権利です。しかし、わたしはそれ以上に、同等以上に、もっともっと教育環境を保障すべきだと思うんです。それが当たり前です。まだまだ残念ながら、われわれの社会は、そこまで認識が進んでいません。それに対して、広汎な取り組みが必要なのです。 先程、清水さんがおっしゃいましたが、なぜ日本で広汎な市民運動が起こらないのか。この現実に対して。これは、ここ20〜30年振り返ってみれば分かります。日本社会では、いつでも当事者がまず声を挙げなければ動かないんです。これは、日本社会のパターンなんです。部落の問題でもそうです。部落の人達が、自分たちが先頭に立ってやってきたから、ようやくここまで進んできたのです。エイズの問題もそうです。明日死ぬかわからんような被害者たちが命がけで動いてきたからようやくこのような運動が広汎に展開されてきた。残念ながら日本社会は被差別の状況にある、人権躁蹄の状況にある当事者が声を挙げて、動かしていくしかない社会なのです。残念なことではありますが、そういう社会やと割り切って民族学校の当事者であるみなさんが、どんどん声を挙げていかれるべきだと思います。それに対して、われわれは、もっと能動的なアファーマティブ・アクションを措置させるべく応えていきたいと思います。少し長くなりました。どうもありがとうございました。 〈朝鮮学校への助成金は私学の4分の1=大阪府の場合〉 今、金さんの方から紹介のありました有識者会議というのは、正確に言いますと、1992年の10月に、都道府県では全国に先躯けて、大阪府が在日外国人問題を専門に考える審議会を作ったのです。それが「大阪府在日外国人問題有識者会議」と言うんです。有識者というのはちょっと抵抗があるんですが、そうなっています。そこに10人ぐらい委員がいます。その中には外国人の委員が半分ぐらいいまして、韓国・朝鮮人も入っています。おそらく大阪府の審議会の中で、朝鮮籍の委員が入っているのは、わたしたちのこの審議会だけではないかと思います。そこで、92年の10月に立ち上がって以降、主に韓国・朝鮮人に関わる問題を中心にしながら、在日外国人の問題に対して自治体がどういうことができるかということを、いろいろ議論してまいりました。キム先生から話がありましたけれども民族学校に子どもを行かせている親の負担が非常に重い。これは先程も言いましたように民族学校を各種学校として扱うことによって、助成金を渋っているという現実があるわけです。わたしたちも有識者会議でこの点を取り上げて、今まで大阪府にいろいろな要求を繰り返してきました。その結果、大阪府もよく応えてくれています。コ・チャンユさんが書かれている本の中にも記されていますけれども、朝鮮学園に対する補助金が92年度には1人あたりの単価として17,800円しかなかったのです。ところが、今年は62,000円まで増えています。大阪府としては、非常にハイレベルで増やしてきているわけです。しかし、これを「1条校」の私学に対する助成金と比べると、まだまだ格差があります。幼稚園で131,900円、小学校219,400円、中学校241,400円。それだけの助成がなされているわけです。「1条校」の場合ですね。中学校レベルで言いますと、18万円ぐらいの差があるわけです。毎年のことです。これはまだ、非常に大きな差です。大阪府はよくがんばってくれていますが、そういう問題を全面的に解決するに至っていない。そこで、去年の10月に一番最近の会議がもたれたのですが、その席でわたしが大阪府に対して「民族学校に対する大阪府の助成の限度をどの辺だと考えておられるのですか」と質問したのです。それに対して、大阪府側からの回答がありました。この有識者会議は全面公開して、誰でも傍聴できる会議なのですが、そこで大阪府から、こういう返答があったのです。「どの辺までを自治体の役割として果たすべきかについてはいろいろな考え方があり、キッチリとはまとまってはいないが、国と都道府県との役割分担ということで、フィフティフィフティという考えを持っている。よって都道府県として、つまり大阪府としまして、当面実現可能な目標は「1条校」の半分程度の助成を考えている。国に対しては、毎年、助成制度の創設を要望している。」と、こういう回答がありました。今のところ、62,000円です。朝鮮人の子ども1人当たりですね。これを今年の比較で言うと「1条校」には241,400円出ていますので、これを120,000円ぐらいまでは持っていくのが、大阪府の義務である。そこまではやりましょう。という嬉しいお言葉ではあるのですが、逆に言えば、府のレベルではよくやってもそこまでだ。当然、その助成の中には国庫補助があるわけです。この国庫補助の割合を半分と見なして、残り半分を大阪府は持つべく動こうとしてくれています。しかし、残り半分は、これは国の問題なんです。これに対して大阪府も国に精力的な要望を出していますが、なかなか国が動かないという現状なんです。しかしまあ、年々増えつつある。大阪府がそこまで考えているというのは、1つのわれわれがこれから運動を進めていく上で、参考にはなるかと思います。 先程、内山先生からお話のありました民族学級の問題です。これも在日朝鮮人児童の割合と民族学級の数のバランスが、非常に不釣り合いになっております。はっきり言って少ない状態です。ですから、当委員会としましては、最低子どもの1割が在日の子どもたちであるというそういう学校に対しては、最低でも民族学級をつくるべきではないかと、要望を出していますけれども、それに対しては前向きに取り組むと動いているようですが、まだはっきりとした返答がありません。まあそういう段階であるわけです。 (在日朝鮮人問題を在日外国人問題の中に埋没させてはならない。) 大阪府の有識者会議はそういう段階にあるのですが、あと2点だけ、わたしの言いたいことを言わせて頂きます。1つはですね、今、日本の社会における在日朝鮮人の構成比が、非常にすさまじい勢いで変化しつつあるということです。わたしたちは子どもの頃から「在日」「在日」という言葉を使ってきました。.「在日」と言えば、イコール朝鮮人・韓国人であったわけです。ところが今、日本に合法的に滞在している外国人の数は140万人を超しました。これは全人口の1%以上です。しかもその中で、韓国・朝鮮人はニューカマーの人達をも含めて69万人です。全外国人の数の半分になってしまったわけです。しかも、この69万人の韓国・朝鮮人の中には、一時滞在の方もおられるわけです。これを永住権を持っている人に絞りこんでいきます。そうすると、もう4割近くに減っているわけです。今まで、「在日」イコール韓国・朝鮮人であったという現実は崩れてきているんです。 それでそういう変化を前にして、国はどうい対応を示そうとしているかというと、この在日朝鮮人問題を増えつつあるニューカマーの人達をも含めた一般的な外国人問題の中に放り込んで、そこに埋没させようと、こういうことをやりかけているわけです。そうすることによって、われわれが、日帝支配36年間にやってきたことに対して責任をとらなかったこと、そういうことを全て隠蔽していこうと、こういう形で大きく動きつつあるわけです。この状態は、だんだん進んでいきます。日本に滞在する全外国人の中に占める韓国・朝鮮人の割合は、これからは増えていきません。減っていく一方なんです。これは民族教育の運動を進める上で、一つは厳しい現実です。逆に言えば、急がなければならない。民族教育の、日本が保障しなければならない在日朝鮮人の権利、これをちゃんと復権させることを、できるだけ早くやっていかなければならない。そういうことを、同時に示しているのだと思います。 〈文化は国家にでなく、民族に帰属するもの〉 それから2つ目になりますが、今まで「在日」と表現された韓国・朝鮮人以外の外国人が、日系2世なんかが、どんどん増えてきています。日本の全人口の1%以上と言いましたけれども、大阪府内では2%近くが外国人なんです。18万人以上、韓国・朝鮮人がいます。それにニューカマーを足しますと、大阪府内では、50人に1人が外国人という事態なんです。そこで、みなさんがやっておられる国際交流の集いなんかがあります。教育の現場では、多文化教育ということに迫られています。多文化教育、いろんな定義がありますが、簡単に言いますと、いろいろ民族が違うし、宗教も違うし、文化も違う、そういう子どもたちが1つの学校で学ばざるを得ない状態ができている。そういう子どもたちが、自分たちの民族性や言語や文化を、ちゃんと守れるような、そういう個別対応した、いろいろな文化を尊重した教育をやっていこうというのが、基本的には多文化教育の出発点になります。 しかし、それを進める上で、1つだけ、わたしは疑問を呈しておきます。何か。日本の学校にある「国語」という授業です。わたしは、この「国語」という授業が許しがたい授業だと思っているんです。「国文学」という言葉もあります。「国文学」、何のことか分かりますか?「日本文学」のことを「国文学」と言うのです。わたしも文学者の端くれです。わたしのやっていることは「国文学」になっちゃうんです。「国語」て何や。アメリカでやっているのは英語です。イギリスも英語、フランスはフランス語、ドイツはドイツ語です。授業はそうなっているんです。世界広しと言えども、「国語」という授業をやっているのは、東アジアのわたしたちだけです。これは日本が始めたことなんです。日本が「国語」という概念をつくって、言葉を、言語を、民族・民衆のものじゃなくて国家に帰属させてしまった概念を、植民地支配の時代に広めていったわけです。これが残念ながら朝鮮人社会にも残ってしまっています。わたしは、「国語」という授業が、日本の義務教育の科目として残っている限り、本質的に多文化教育は成り立たないと思っています。多文化教育では、それぞれの子どもたちの母国語、あるいは、遺産言語と言ってもいいですけれども、それを尊重することから始まるんです。そこからしか始めようがない。なのに「国語」という概念が、片一方に授業としてちゃんとある。これはどう考えても並立できない発想なんです。「国語」をもう無くしていこうやないか。「日本語」にしよう。国家があって、国家に言葉が帰属しているんじゃないんです。国家に文化が帰属しているんじゃない。国家よりも民族が優先する。 『むくげ』1533号1997.8.11より |